動画マーケティングの基本戦略

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マーケティングのための動画を企画するにあたって、テーマの次に考えるべきことは、動画の表現の制作方法、この2つです。

この2つは、いわば「戦略」ですから、複雑に考えては意味がありません。まずはできる限り単純に考える必要があります。

表現の型は「言葉が主体か映像が主体か」で大きく分けることができます。これは「テレビ型か映画型か」と言い換えることも可能です。

制作方法は「撮ってから考えるか撮る前に考えるか」で大きく分けることができます。これは「ドキュメンタリー的かドラマ的か」と言い換えることも可能です。

順を追って解りやすくご説明します。

表現の型:言葉が主体か映像が主体か

動画だからといって、常に映像が主体だとは限りません。世の中の動画は、むしろ言葉が主体で、それに映像が従属しているもののほうが多いと思います。

そのいちばんの理由は、言葉のほうがテーマやメッセージを視聴者に伝えやすいからだと思います。

このブログで度々主張していますが、「動画はわかりやすく伝えられる」という類の言説は、かなり誤解を招くものだと私は考えています。

なぜなら、そういう言葉を聞くと、たいていの人は「動画」を「映像」と勝手に脳内変換して、「“百聞は一見にしかず”と昔から言う通りだ」と納得してしまうからです。

しかし、動画の「わかりやすさ」はナレーションやテロップといった言葉によるもので、映像自体によるものではありません。

例えば「お餅」を初めて見る外国人に、それが米から作られた日本の食べ物であることを伝えるには、ただ餅を写した映像だけではダメですが、そこに説明のナレーションかテロップを被せれば一発です。

つまり、動画における映像の効果は、「わかりやすさ」ではなく、もっと他にあるということです。これについては、あとで詳しく述べます。

言葉が主体=テレビ型

テレビ番組は、基本的に言葉が主体です。

テレビを見ていて、ナレーションやトークなどの「しゃべり」が途切れることはまずありません。また、テロップも多く、ときには画面を埋め尽くすくらいの量が用いられます。

これは上の項に書いた通り、とにかくわかりやすく伝えるためです。テレビはわかりやすさを至上命題としたメディアなのです。

ですから、動画を企画する場合も、わかりやすさをプライオリティとするなら、テレビ番組を手本として考えるのがいいと思います。

映像が主体=映画型

歴史を振り返ると、映画は19世紀末に音声のない状態で誕生し、20世紀のはじめに黄金時代を築きました。

1920年代に「トーキー」つまり「しゃべる映画」が出てきたとき、「映画に音声は蛇足だ」と否定した批評家もいたくらい、映画は映像だけで観客を熱狂させたのです。

初めて映画を見た観客がスクリーンの奥から走ってくる列車を思わず避けた、という逸話があるそうですが、それほど盛った話ではない気がします。

わたしたちは今でも、最新技術を使った見たことのない映像には息を呑みますし、演出の上手いシーンでは思わず笑い声を上げたり、椅子から飛び上がったりします。

そういう身体の反応を起こすのは、映像というメディアが直感的でリアルだからでしょう。そう、映像本来の持ち味は「わかりやすさ」ではないのです。

お餅の例でいえば、その独特の柔らかさは、言葉より映像のほうが圧倒的にリアルに伝わります。「百聞は一見にしかず」とは、このリアリティの優位を言っているのではないでしょうか。

つまり、映画型の動画は、視聴者の身体反応を引き起こすような映像を作ることが何よりも重要です。

制作方法:撮ってから考えるか撮る前に考えるか

「撮ってから考える」というのは、撮影前にざっくりとした方針だけ立て、それに基づいてできる限りの撮影をおこない、ポスト・プロダクション(編集など撮影後の作業)でその「撮影素材」を吟味して作品の構成を考える制作の流れです。

「撮る前に考える」というのは、撮影前に作品全体の構成から画づくり等の細部までキッチリと計画し、それに従って撮影・編集を進める制作の流れです。具体的には、「台本」や「画コンテ」といった作品の“設計図”を作ってから撮影に入ります。

ジャンルでいうと、ふつうドキュメンタリー作品は前者の制作方法、ドラマやCMは後者の制作方法をとります。

ですので、マーケティングのために動画を企画する場合も、フィクションすなわち「作り込み」の要素が撮影にどれくらいあるかによって、どちらの制作方法をとるのかを予め明確にしておく必要があります。

そうしないと現場が混乱し、予算・スケジュール・作品のクオリティに悪影響が出てしまうことになるからです。

撮ってから考える=ドキュメンタリー的な制作法

制作方法は「表現の型」と連動して考える必要があります。

「撮ってから考える」とは、言ってしまえば出たとこ勝負です。常に満足いく画が撮れる保障もありませんが、幸運にも予想以上の画が撮れたりもします。

この制作方法は、テレビ型の動画と親和性があります。

前述したとおり、テレビ型の動画は言葉が主で映像が従ですから、作業の手順としては、ナレーションまたはテロップをまず書いてから、それに映像を当てはめていく形が自然です。

ですから、満足いかないまでも妥協できる水準の画が撮れていれば、あとはナレーションやテロップで完成度を高めることができます。出来の悪い動画を作ってしまうリスクが低い組み合わせとも言えるでしょう。

逆に、映画型の動画の場合は、動画の性質からいって撮影で妥協するのは本末転倒です。

予算やスケジュールを考え直してでも満足のいく画を撮るという姿勢が必要ですが、はじめに書いたとおり、粘ったからといって狙い通りにいくとは限りません。

ですから、映画型でこの制作方法を採用するのは、予め覚悟が必要です。

撮る前に考える=ドラマ的な制作法

台本にしろ画コンテにしろ、紙の上で考えたことを実際の撮影で具現化するのがこの制作方法で、「見える化」の一種だともいえます。

これも「表現の型」と連動して考えることが必要です。

テレビ型の場合、この制作法だと極限までコストを抑えることができます。言葉主体の動画を、ナレーションやテロップを書いてから撮影するわけですから、要は紙芝居と同じです。

しかし、低コストはいいのですが、チープさだけが視聴者の印象に残ってしまえば、マーケティングの効果が期待できないどころか、ブランド価値を毀損してしまうというリスクもあります。

この制作方法は、映画型の動画と親和性があります。事前にしっかり計画してちゃんと作り込めば、一定の映像的効果は期待できるからです。

まとめ

「表現の型」と「制作方法」の関係を簡単にまとめると、下の表になります。

実際はこのように単純に分類できるわけではありませんが、こういうモノサシを持っておけば、動画マーケティングの基本戦略を立てる際に役立つと思います。

テレビ(言葉)型映画(映像)型
撮ってから考える高コスト
撮る前に考える低コスト・高リスク

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