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動画制作における映像と言葉の関係とは

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この記事は約4分で読めます。

動画制作における映像と言葉(字幕やナレーション)の関係を、「認知」と「描写」、2つの観点から考えてみました。

見ると読むは同時にできない

動画制作における映像と言葉の関係を「認知」という観点で考えたとき、視聴者は映像を「見る」という行為と字幕を「読む」という行為を同時におこなえない、ということが重要になると思います。

外国映画を字幕で見るときを思い返していただければご理解いただけると思うのですが、私たちは、映像を見ているときには字幕を読んでいませんし、字幕を読んでいるときには映像を見ていません。映像を見ながら同時に字幕を読んでいるように感じるのは、「見る」ことと「読む」ことをすばやく切り替えながら映画を見ているからです。

ですから、動画制作で文字を使う際は、まずは「読んでもらう」ことを考えなければなりません。

視聴者が一定時間内に読んで理解できる文字数は限られていますから、読んでもらうために必要な時間は、字幕の文字数に比例して長く必要になります。読んでもらうための時間が長くなれば、当然、映像の方は「間延び」することになりますから、視聴者が退屈する危険性は高くなります。つまり、動画に入れる字幕の文字数は、間延びとのトレードオフになります。

これは字幕だけでなく、ナレーションやセリフにも当てはまると思います。言葉を「読む」のか「聞く」のかという違いはありますが、やはり私たちの脳は、映像と言葉を同時には処理していないように思います。

ちなみに、ナレーションやセリフを字幕でおさえる際も注意が必要です。同一時間内に読み取れる文字数は、聞き取れる文字数よりも少なくなるからです。発話された言葉そのままではなく、ニュアンスを変えない範囲で言葉を省いたり、ときには意訳したりして文字数を減らさなければ、字幕は読んでもらえません。

映像は表現、言葉は説明

動画制作における映像と言葉の関係を「描写」という観点で考えると、映像は対象を「表現」するための手段、言葉は対象を「説明」するための手段だと定義できると思います。

たとえば、人物の風貌や人柄を伝えるには映像がいちばんですが、社会的地位や履歴は言葉で説明しなければ伝えることができません。

「百聞は一見にしかず」という諺があるからか、動画なら何でも分かりやすく説明・解説できるという誤解があるように思います。しかし実際は、映像は抽象的な概念や複雑な内容を伝えることに向いていません。そういうことは結局、言葉で説明する他はありません。

しかしながら、「説明」は基本的に退屈なものです。ですから、エンターテイメントが目的の映画やドラマでは、説明的なセリフが嫌われます。なにかを説明するために作られる動画においてすら、取説と同じような文章表現では視聴者はついてきません。

一方で、映像に「意味づけ」や「価値判断」をおこなう場合は、言葉による説明がとても重要になります。視聴者が感じる意味や価値は、説明の善し悪しによって変動します。

たとえば美術品や骨董品は、専門家の解説如何で見え方がまったく違ってきます。それと似て、ホームビデオは、赤の他人から見ると面白くも貴重でもありませんが、そこにうまい「ストーリー」を加えることができればコンテンツ化が可能です。

上の項に書いた通り、動画において映像と言葉はトレードオフの関係にあります。それと合わせてまとめると、字幕やナレーションに使う言葉は、効果を考えて厳選し、できるだけ手短にしなければならないということになります。そのためには、普段から言葉のセンスを磨くことが必要になってきます。

蛇足ですが、以上のことはパワーポイントのスライド作成時にも当てはまると思います。スライドに文字がびっしり書かれ、レクチャーがその要約になっているという「倒錯的」な発表を見たことは、1度や2度ではありません。

参考動画1

「先生がどんな授業をしたか」という「説明」を極力少なくし、「その授業を受けた生徒さんはどんな様子だったか」という「表現」をメインに構成しました。

参考動画2

題材は、修士論文中間発表という難しい内容。研究発表をそのまま見せても、一般の視聴者の興味を引くのは無理でしょう。そこで、思い切って発表の音声をほとんどカットし、その代わり、「御自身の研究内容を、誰にでも分かる簡潔な言葉で語ってください」とお願いして録ったコメントを使用しました。

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