撮ってすぐ編集しない
ドキュメンタリー的な仕事で時間に余裕がある場合、私は撮影した映像素材をすぐには編集しないことにしています。
すぐに編集してしまうと、現場の記憶が邪魔をして、撮影素材を客観的な眼で吟味することが難しいからです。
数日すると撮影時の記憶も生々しさを失ってきます。
すると、現場ではうまく撮れたと思っていた画が今ひとつであることに気づいたり、逆にそれほど意識していなかった場面が面白く見えたりします。つまり、「編集者の眼」で撮影素材を吟味できるようになるのです。
体験した記憶と、記録された映像にはギャップがあります。ですから、映像自体を客観的に見て編集することが大切だと思っています。
迷ったらカットする
カットするかどうか迷ったときは、迷わずカットするようにしています。
カットするかどうか迷う部分は、たいてい全体の流れやリズムとコンフリクトを起こしています。にもかかわらず「迷う」のは、コスト意識が邪魔をするからです。
カットするとは、すなわち「捨てる」ことですから、自分で撮影した素材でなくとも、「もったいない」という気持ちが生じるのは自然なことです。
しかし、大部分を捨てることで一部を生かすのが編集です。逆説的ですが、映像の価値を高めるには、積極的に捨てることが大切だと思います。
作文するように構成する
動画編集は、作文にとても似ています。
撮影素材から切り出した、ひとつながりの映像をカットと呼びます。完成動画の最小単位ですから、文章でいえば単語のようなものです。
このカットをつないで、ひとつの場面、つまりシーンをつくります。そしてシーンをつないで、ストーリー(構成)上のまとまりであるシークエンスをつくります。
単語をつないで文を書き、要旨ごとに段落で区切ってひとつの文章をつくるイメージは、カットをつないでシーンをつくり、シークエンスごとに整理しながらひとつの動画作品を完成させるイメージと重なります。
ですから、文章構成の重要なポイントは、動画編集にも当てはまります。
たとえば「結論から書く」。
結論を先に述べて、その後「なぜならば…」と説くほうが、読み手聞き手によく伝わるという王道の構成法です。
これをドキュメンタリー的な動画編集にあてはめると、「結果から見せる」ということになります。時系列に縛られず、まず結果を見せ、そこから「始まり」に遡る構成です。
「時系列を入れ替えると視聴者が混乱するのでは?」という心配は無用です。適切に構成されていれば、視聴者は因果関係をすぐに理解します。
作文も動画編集も「現実の再構成」です。その際、最も大事なのは「まず受け手の興味を引く」ことだと思います。なにより怖いのは、工夫のない説明的な構成がもたらす退屈なのです。
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