カメラが生まれた当初、カメラマンは特別な人でした。カメラという最新の機械を扱う技術を持っていたからです。
しかし、誰もがプロ並みに撮影できるカメラを手にできるようになっった現在、カメラマンとはただ「写す人」をさす言葉になりつつあります。
そんないま、プロカメラマンを名乗る資格があるとしたら、それは何でしょうか?
曖昧になったプロ・アマの境目
誤解のないよう付け加えると、現在でも放送用・映画用・業務用のカメラと家庭用カメラには、明確な線引きがあります。
しかし、デジタル技術の発達により、その性能差・価格差は、アナログ時代と比べると信じられないくらいに小さくなりました。
そのおかげで、今はテレビも映画も、やろうと思えばプロ用機材を使わずに制作することが可能です。
たとえば、テレビのロケではGoProなどのアクションカメラが大活躍しています。また、多くのミュージックビデオがデジタル一眼で撮影され、ハリウッドにはiPhoneで映画を撮る監督さえいます。
今後この傾向はさらに加速していくでしょう。
封建時代のプロカメラマン
アナログ時代の状況は、そんな現在とはまったく違いました。
プロが使うカメラとアマチュアが使うカメラには、性能と価格に圧倒的な差がありました。アナログの家庭用ビデオカメラが何十万円かで販売されていたころ、テレビ番組や映画撮影で使うカメラは1千万円を超えるものでした。
アナログ時代にプロ機材を扱うには、製作会社に入るか、フリーのプロに弟子入りして経験を積むしかありませんでいた。つまり業界に入ることが絶対に必要だったのです。
いわば、カメラマンの世界は長らく「封建時代」でした。
その時代なら、プロカメラマンを定義するのは簡単でした。プロカメラマンとは業界で働くカメラマンのことだったからです。
封建時代、武士かどうかは家柄で決まったように、アナログ時代、プロカメラマンとは肩書にすぎませんでした。
プロだから上手いとは限らない
どんな分野でも、素人にはない特別な能力がある人をプロというのだ。そう考える方もいるでしょう。
では、プロカメラマンの能力とは何でしょうか?
カメラマンにとって最も大切なのは、よい画を撮影することです。とりわけ、よい構図を作るセンスは、カメラマンの腕を決めるいちばんのポイントです。
これは持って生まれたセンスによる部分も大きいと思いますが、実践によって磨くことができる能力でもあります。
しかしアナログ時代は、持ち前の才能を活かしたり現場で経験を積んだりする前に、非常に高いハードルを超える必要がありました。前述したように、プロ機材を使うには業界に潜り込むしかなかったからです。
これは実は「下手なプロカメラマンも存在し得る」ということを論理的に示しています。
なぜなら、業界に受け入れられ、業界での下積みに耐えることは、カメラマンの能力とは直接関係がないからです。
前述したように、封建時代の武士は、武術に長けていたから武士だったわけではありません。
それと同様に、プロカメラマン=腕があるというのは、アナログ時代には単なるイメージにすぎませんでした。
反面教師としての業界カメラマン
少し話が逸れます。
私はある地方のバスをよく利用するのですが、そのバス会社の運転手さんは、世代・性別で客に対する態度が全然違います。
特に顕著なのが、運転しながらおこなう「発進します」「右に曲がります」といった車内アナウンスです。
マイクのボリュームをしぼっているのか声が小さすぎたり、しゃべり方が独り言のようだったりして、このアナウンスが聞き取りづらい運転手さんに、結構な頻度で出くわすのです。
そういう人は100%、年配の男性です。
おそらく彼らは、車内アナウンスが「重要な業務」だとは考えていません。なぜなら、彼らが入社した頃、それは業務ではなかったからです。
バスの運転手という職業は、ある時期に「サービス業」へと大きくシフトしたのですが、彼らの意識はそれに追いついていないのです。
プロカメラマンの世界も、これに似たところがあります。
昔の業界には、助手やスタッフに威張り散らすカメラマンがたくさんいました。そうでなくとも、カメラマンはたいてい無愛想と相場が決まっていました。
理由は簡単で、ナメられると仕事がやりづらくなるからです。狭い業界の中だからこそ成立した「キャラ」だといえます。
最近でもよく、報道カメラマンが一般の人に横柄な態度をとったりしてネットで叩かれていますが、彼らは前述した年配のバス運転手と同じで、悪気があるというより、時代の変化についていけてないだけなのです。
サービス業としてのプロカメラマン
プロとアマチュアが同じカメラを使うようになるというのは、大げさにいえば「革命」です。
「業界」は前提条件ではなく、最初から「個人」が試されるようになるということです。
もともとセンスを持った人はそれをすぐ活かせますし、また経験を積んで腕を磨くにしても、様々なやり方、自分にあった方法を選択できます。
その反面、プロカメラマンもサービス業として、市場原理に直接さらされる様になります。
つまり、カメラマンとしての腕だけではなく、他者との関わり方・向き合い方も問われるということです。
そういう意味で、プロカメラマンとは他者を撮影する資格がある人だと、今の私は考えています。
もちろん、この「資格」という言葉は職業倫理的な意味で使っています。
他者を撮る資格とは
私が力点を置きたいのは「他者」という部分です。なぜなら、昔と今では、この他者の意味が違うからです。
昔のプロカメラマンにとっての他者は、被写体はであるモデル・俳優や、他のスタッフなどの業界人でした、
しかし、今のプロカメラマンにとっての他者は、市井のあらゆる方々です。
したがって、「他者を撮る資格」は、昔とはまったく違ってきます。
それを意識して実践できるかが、私が考える今の、そしてこれからのプロカメラマンです。
自戒も込めて、以下に簡潔にまとめたいと思います。
威張らない
カメラは使い方や時と場合によっては、それを向けた人を傷つける武器ともなり得ます。
したがって、職業としてそれを扱う者は特に、扱いに細心の注意を払わねばなりません。
昔のカメラマンのように、相手を威圧するために威張り散らすなどもってのほかです。
邪魔しない
業界という狭い世界を一歩出れば、あたりまえですが世の中は立場の違う様々な人々によって成り立っています。
カメラを構えるということは、すなわち他者の領域へと踏み込むことです。
そのためには、正しい手続きと、ふさわしい態度が不可欠です。
魅力を引き出す
撮影するということは、被写体の魅力を切り取ることです。
これは アプリで「盛る」のとはまったく意味が違います。
被写体が元来持っている優れた部分を、レンズによって見る人により伝わりやすく掬い上げることです。
撮影することは演出することでもあります。
映画やテレビの現場では、撮影スタッフと演出スタッフは分かれていますが、もともと撮影という行為の中に演出という行為は含まれています。
特にこれからの時代、演出力のないカメラマンはプロカメラマンを名乗る資格はないと思います。
悪いことを説明できる
機材が進歩したからと言って、撮影の基本的な部分が変わったわけではありません。
光量不足ではキレイには写りませんし、騒音が大きい場所ではセリフは聞きづらくなります。
かといって、常に十分なライトが使えるわけでも、静かな場所で撮影できるわけでもありません。なぜなら、撮影には予算やロケ場所などの制限や障害がつきものだからです。
そういうマイナス要素をクライアントに解りやすくかつ丁寧に説明し、できる限り良い解決策を一緒に探す姿勢は、プロカメラマンにとって必要不可欠なものだと思います。
柔軟な対応力がある
撮影では何が起こるかわかりません。
スタジオという閉じた場所を離れ、市井の方々とともに撮影するとなると尚更です。
ですからプロカメラマンには、刻々と変わる状況に柔軟に対応すること、予想外の出来事を臨機応変に乗り切ることが求められます。
これは大変難しいことですが、撮影にかかわることだけでなく、あらゆる事象に対して、少なくともそういう心構えを常に持っておくことが、プロカメラマンには必要だと思います。
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