「今度のセミナー、ビデオで記録を残しておきたいから、社内の若手に頼もう」
そんなふうにお考えになる経営者や上司の方は多いと思います。確かに、内製で済ますことができればコストは抑えられます。
でも、それは絶対に間違いです。ただビデオを撮るだけなら簡単なことですから、なにがしかの動画は残ります。しかし、それが使える記録になる可能性は低いと思います。なぜそう言えるのか、以下でご説明させていただきます。
テクノロジーへの誤解
年配者の陥りやすい誤解に「若ければ若いほど新しいテクノロジーを簡単に使いこなす」というものがあります。テクノロジーは時代とともに進化しますから、後で生まれた人ほどそれに明るいだろうという思い込みです。
「ビデオ撮影は若手に頼もう」というのも、その誤解からくる発想です。スマホ世代だからといって、ビデオ撮影が得意だとはかぎりません。スマホの自撮りと記録ビデオ撮影はまったく別のものです。
簡単にいうと、スマホのカメラは自分を撮るものであり、ビデオカメラは他人を撮るものです。いくらスマホでの動画撮影に慣れていても、ビデオカメラで上手く撮影できるとは限りません。むしろ、スマホ感覚でビデオカメラを操作すると失敗します。
スマホ世代はPCが苦手だという話題も最近よく目にします。スマホがPCの進化形だからといって、スマホが使えれば PCも使えるということにはなりません。テクノロジーは日々進化しますが、使う人間からすれば、それはただの変化でしかありません。なんでもスマホで済むようになれば、PCが使えなくなるのは当然のことです。
若い人の立場で考えると、「できて当然」「できるはず」という誤解や思い込みで仕事を任されるのは、たいへん辛いことだと思います。やった後でがっかりされることほど、気持ちが傷つくことはありません。
撮影をジャマする忖度
内製するということは、撮る方も撮られる方も身内だということです。これは記録撮影ではよいことではありません。なぜなら、置きやすい場所にカメラを置いてしまうからです。カメラを置きやすい場所と、よい撮影位置はまったく別です。カメラは置きやすい位置ではなく、よい映像が撮れる位置に置かねば意味がありません。
置きやすい位置にカメラを置いてしまうのは、撮る方が撮られる方を過剰に忖度してしまうからです。要するに、遠慮しすぎてしまうということです。ここにカメラを置いたら邪魔になるのではないかとか、目障りになるのではないかとか、迷惑じゃないかとか、考えすぎてしまうのです。
もちろん、撮影がイベントを妨害してしまうようなことがあっては本末転倒です。私がいいたいのは、身内の人を撮影担当にすると、その人はイベントの主催者側でもあるため、カメラマンであるにもかかわらず撮影が二の次になってしまうということです。
イベントとその撮影は、ときにトレード・オフの関係になります。イベントの進行と見やすい画の撮影、そのふたつを両立させるのは容易なことではありません。そういうとき、ギリギリの落とし所を探るのがプロです。当たり前ですが、プロカメラマンにとってはよい撮影をすることが第一であり、そのためにはなるべくよい撮影位置を確保する必要があるからです。
逆にいうと、よい画が撮れて邪魔・目障り・迷惑にならない撮影位置を探せるのがプロです。身内のカメラ担当者にプロのような撮影を要求するのは酷なことだと思います。「あそこが空いているから、あそこから撮影しよう」という考え方は、プロではない撮影者のものなら責めることはできません。
排除できない先入観
カメラは写される人と視聴者をつなぐものです。カメラはいわば第三の目です。ですから、それを扱うカメラマンには客観的な視点が必要不可欠です。しかし、身内を客観視するのは難しいものです。
他人の癖は些細なことでも気になるのに、自分の癖にはなかなか気づきません。灯台もと暗しという諺もあります。人は、身近な存在であるほど客観的に見ることが難しくなるものです。身内が身内を撮影する根本的な難しさはそこにあります。
客観視できないとは、先入観を取り去ることができないということです。つまり、思い込みが排除しづらいということです。カメラマンが思い込みでカメラを回すと、結果は悲惨なことになります。人は思い込みによって、見えているものが見えなかったり、逆に見えないものが見えたりします。カメラはそういう勘違いを無慈悲に写し出します。これは記録という目的にとっては致命的なことです。
実際、素人の方が撮影したビデオを見ていると、何を撮影しているのかわからないシーンに出くわすことがあります。もちろん撮影した本人は「何か」を写しているつもりなのでしょうが、それが見ているこちらには伝わっていないわけです。つまり、その「何か」は撮影した本人の中だけにある「思い込み」なのです。そして、その「何か」とは別のものが実際の画面には写っているのですが、それは撮影者の目には見えていないのです。
カメラマンの条件
3つ目の理由はいささか抽象的になってしまいましたが、以上が記録ビデオ撮影を内製化してはいけないと私が考える理由です。これを「記録ビデオカメラマンの3条件」としてまとめると、以下のようになります。
- (経験に裏打ちされた)専門的な知識と技術
- (撮影対象から)自由な立場
- (撮影対象への)客観的な視点
長期的視点で考えても、記録ビデオ内製化のためにこの条件にあった社員を育てるのは現実的ではないと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。記録ビデオ撮影をお考えの場合は、ぜひ私どもにご相談ください。使える記録を撮影いたします。
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